原点回帰②(夏の日の1998)

今回も前回に引き続き〝原点回帰〟として続編を投稿しています。なぜ私の原点である高校時代に触れているのか、その理由は後にお分かりいただけると思います。ただ、それまで私の余韻に浸るだけのための思い出話しに過ぎないかもしれませんが、もう少しお付き合いください。

高校ボートには春の全国選抜、夏のインターハイ、そして国民体育大会と主要な大会があります。西日本であった私たちには5月に琵琶湖(瀬田漕艇場)で開催される朝日レガッタもあわせて4大大会として目標に掲げられていました。

ちなみに私の高校時代は今とは違ってメイン種目は舵手付きフォア、つまりスイープでした。ちょうど私が最上級生のときに入学した世代からクォドルプルへ変更されたのかと記憶しています。また、それ以外にもインターハイは当時、全国の都道府県別開催であったのが、今はブロック開催として開催県という枠ではなく、エリアごとの持ち回りになっているようですね。

これは開催県の負担を考慮したものなのかと推察しますが、それでも全国津々浦々、ボート競技があるコース環境は大概はへき地であり、その時にしか行く機会がないことも多いと思うので、選手たちにとっては思い出の地ともなることでしょう。

これまた余談ですが、私のインターハイは香川県開催で、坂出市にある府中湖で開催されました。実は私の両親はともに香川県出身で、私も生まれは香川県です。ちなみにその後、愛媛県に移り住み、物心ついた頃から現在の実家のある岡山県で過ごしました。

よって、出生の地でのインターハイ出場は自分の悲願でもあり、ある意味、親孝行という意味も持ち合わせていました。余談ばかりになりますが、競技の最後を終えたのは岡山県です。これは高校から競技をはじめ、大学、社会人と丸10年の競技生活の最後を岡山国体で終えるというそんな筋書きを描き、見事に達成し終えて、オールを置いたのです。

なんだか出来すぎというか、取って付けたような話しに聞こえるかもしれませんが、自らのこうした境遇には感謝しています。初めてボートの試合に出漕した岡山の百間川で、競技生活を終える瞬間もこの同じ場所でした。最後のレースとなった国体の準決勝のレースのことは今でも鮮明に覚えていますが、その清々しさを忘れることはありません。

話しは高校時代に戻します。先にも触れた高校4冠の舞台での戦績は選抜4位、朝日レガッタ4位、インターハイ6位、国体準決勝敗退というものでした。前年の偉業からすると指導者にはパッとしないものに映ったかもしれません。メダル、メダルと言い続けられ、最後まで獲れなかった後悔があったからこそ、大学でのリベンジにつながるわけですが、当時は本当に歯がゆい思いをしていました。

鳴り物入りで全国デビューとなった春の選抜ではコース不運もありましたが4位、朝日レガッタでも4位と夏に向けた成長と期待を疑問視された中、迎えた香川インターハイ。結果的には表彰の対象となる6位までになんとか滑り込み、この地での開催に花を添えました。

その5〜8位を決める順位決定戦では、ライバル校であった宇和島東高校が頭一つ抜け出し、残り3艇はラスト250m付近から横並びの一戦となり、最後の最後までもつれ、残り1枠となる表彰に進めたのかゴールした後もまったく分からないものでした。

長い写真判定の末、2位と発表されたときの歓喜と感動も今となってはいい思い出です。たかが6位、されど6位、レース後に指導者と抱き合い、「今回は正真正銘、お前らの力や~」と言われたのは、前年の優勝校という看板だけで戦ってきたという節があったからなのでしょう。

こうした見えない力で残してきた成績より、力で成し遂げたという誉め言葉にキャプテンとして安堵したのも正直なところです。日本一なんてそう易々と口にしてはいけないものだと実感するとともに、その難しさを知った1998年、夏の日の出来事でした。

これまた余談になりますが、無縁だったメダルを大学に進学して、私以外のメンバーは早々に手にします。高校時代、最後までメダルに縁がなかったと指導者に笑われ、その悔しさをバネにそれぞれが進学した先で悲願を成し遂げます。

それでも、それを羨ましいという気持ちより、自分にはこの環境では成しえないだろうな、という諦めの気持ちが勝っていました。自分程度の力では当然、大学レベルでは歯が立たず、メダルなどほど遠い、それくらい高い壁でもあるとも感じていました。

強豪校で仲間に恵まれれば、経験者が他にいれば、それこそタラレバという言葉が何度頭をよぎったことか思い出せないくらいです。それでもその数年後、自らの努力と力で夢を実現するに至るには、これまでの様々な思いと覚悟があったからであると確信もしています。そして、インカレ決勝の前夜、指導者から携帯が鳴り、「お前、今度こそメダル獲ってこいや」と先生なりの励ましをくれたのも夏の日の出来事でした。

こうしたストーリーが私自身のボート競技のすべてです。思い出の地での大会、メダル獲得の悲願、いつもドラマを思い描き、実現することで自らの人生をまるで物語のように描く、目標や夢とは強い信念で成し遂げた、もしくは成し遂げようとしたことで後に語り継げるものなのだと思います。

もちろんこの後、獲得したメダルも結果、最後まで3位の銅メダルまでしか到達しなかったのも自分の力が及ばなかった笑い話しにもなっています。昨年、全日本社会人選手権で、岡山の地で一度置いたオールを再度手に取り、銅メダル以上の輝きを目指して挑んだ結果、なんとか3位までに滑り込むのも、まだまだ目標は続くということなのか、はたまたその先を学生たちに託すということなのか、夢の続きにあるのです。

ここまで私の拙い原点回帰にお付き合いいただきましてありがとうございます。これだけつらつらと述べておきながらなんですが、実はこれでもまだ本題ではありません。3部作になりますが、次回こそ本題について述べていきたいと思います。

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