振り返れば奴がいる

本日の東京の感染者数は3万人を超えました。ある意味、想像していた数字ではありますが、しばらくは過去最高を更新し続ける日々が続くことでしょう。経済活動は止めないと政府も口にしていますが、やはり気になるのは、果たしてこのまま予定される大会が無事開催してくれるか、という点です。

夏の最大目標である全日本大学選手権に今年はエントリーを予定しています。2020年はコロナによる延期を強いられ、2021年も延期の果てに全日本選手権との共催、今年こそは予定通りの開催かと思われましたが、若干雲行きが怪しくなってきました。

私が学生時代の頃はインカレと言えば8月の最終週に開催されるのが常でした。ここに照準を絞り、終われば元旦で、また1年が始まる。インカレに始まり、インカレで終わる、この競技生活のライフサイクルはごくごく当たり前のものでした。

思い起こせば20年前。第30回にあたる同大会に最後の挑戦として出場しました。この年は部員も最後の一人と覚悟を決めて1年前のインカレが終わったと同時に練習を開始し、この大会に向けて毎日石を積み重ねてきました。365日のうちオフをとったのはわずか数日だったと思います。これでダメならという覚悟を持って、自分のすべてをかけてやってきた成果は第3位という結果でした。

結果には満足しています。過ぎた日に言うタラレバを用いるならもっとやれたのかもしれないと今でも思います。これは日々の練習や取り組みのことではなく、本当の勝負をすれば、という意味です。結果、できなかったからこそ、今言うことは本当にタラレバです。

今日はこの日、成し得なかった後悔の物語について少し触れてみようと思います。

先行逃げ切り有利なボート競技とは一般的によく言われます。これは先頭に出た者が周りを見ながら余裕をもって漕げるという競技の特性から言われることだと思います。もちろん先行逃げ切りが必ずしも決まるわけではなく、形勢逆転も数々のレースで繰り広げられています。

でも僕は自分を追い込み一辺倒で磨き続けました。以前になぜ後半、最後の最後にそんな余力があるのだと聞かれたことがありますが、これはある業界の用語で言うなら「脚を溜めている」からできます。もちろん手を抜いているわけでなく、最後に脚を使うことは計画通りというか、自分のスタイルとして確立させ磨き続けました。

ボート競技にはファインプレーも必殺技もないと先日、触れました。でも僕はそれを磨きました。誰の目にもわかるくらいの自分の特技として必ず最後は差してくる、そう周りに思われることも「魅せるボート」を意識していたからなんでしょう。

この年、インカレまでに多くの試合に出場しましたが、なぜかいつも当たる因縁の相手というのがいました。結局、このシーズン、インカレの最後まで負け続けました。前述のスタイルを続けたから必ず振り返れば奴は後ろにいるのです。でも最後まで追いつくことはできなかったのが事実であり、結果となっています。

これまで全日本級の大会で最終日に残る(ベスト8以上)結果こそ成し遂げられなかったものの、このインカレでは正直そこそこはいけるだろうという自信はありました。順当にいけば準決勝がヤマとなるので、確実に良い組にまわるために予選こそ重要と思っていた矢先に因縁の相手と当たるという悲運もありました。もちろんここで勝負することもできたのですが、それは避けて、敗者復活回りを選択し、実際にヤマ場となる準決勝を迎えます。

この年は僕の最後の悪あがきを応援しようと多くのOBが駆けつけてくれました。この時ほど、この部に人が集まったのはこれ以来見ていません。でもそれだけの期待を背負っているからこそ、必ず決勝に進むことが自分の使命でした。このレースでも当然の如く、ゆったりしたスタートで入ります。第1クォーター通過時はお決まりの最後方です。でも焦りもなく、そこから徐々に順位を押し上げ残り500mは「溜めた脚」を最大限に発揮し、ゴールの数10m手前でトップを取り、そのままフィニッシュ。この時の雄叫びを実は今でも忘れられません。

決勝に進んだこともそうですが、何より自分の思い描いたレースで勝ち切ったこと、これがまさに集大成とも言える内容だったからです。この時の毎日のレースや当時の状況を親友がビデオで記録してくれており、それを今になっても見返すことがよくあります。このレースを終えたとき、応援してくれていたOBの知人の一人が、最後の追い込みに鳥肌が立ったよ、とコメントしてくれています。これがまさに魅せるボートの真骨頂でしたので、自分だけでなく、周りにもそう伝わっていたことが嬉しくもありました。人を魅力する、ボートを通じて体現できたことは今の自信にもなっています。

そして迎えた最終日。最初で最後の最終日。負けたらそこで終了、引退というインカレにおいて、最終日はまさにこれが最後のレースとわかって迎えることができます。でもこの日。今だからこそ言える自分の中での迷いがありました。おそらく周囲は当部初のメダルを獲ってほしいという期待。そして幾度となく現れる因縁の相手との最終決戦。日本一がすぐそこにあるという現実とその緊張感。

これらのさまざまな感情が入り混じる状況でアップをしてスタートデッキにつけたことを今でも覚えています。いつものようにスタートデッキのウォーターマンに「今日も暑いね、ご苦労様」と声をかけつつ、自らの緊張をほぐしました。5分前、という掛け声からスタートまではあっという間だったと記憶しています。それだけ最後の最後まで迷っていたのでしょう。自らのスタイルを崩して勝ちに行くか、ということに。

そんな迷いにお構いなく、スタートの発艇の合図がかかりました。「もう考える暇もないからやるしかない!」そう思っていつも通りのスタートで入りました。決勝ということを考えると思っていた以上にスローな展開で、こちらが思った以上に周りも近くにいたので、違和感もありましたが、おかげで慌てずいつも通りのスタイルを貫こう、そして最後に逆転劇を決めてやろう、腹を括りました。

これが一つの分岐点というか後悔です。おそらくここで勝ちに行くレースをすることができたのです。追い込み一辺倒でやってきましたが、勝負を賭ける、そんなレースを行う舞台としてこれ以上のものはありませんでした。でもそれをせず、スタイルを貫いたことがこの結果であり、安全策を取ったからこそ、限界に挑戦をすることができなかった、その後悔だけは今も残っています。

その時の展開、そして情景は今でもはっきり覚えています。第3クォーター付近で3番手につけた時点でメダル圏内という安堵が自分を更に消極的にさせました。最後に攻めることで最低限の目標にも届かないことこそ悔やまれる、そう考えるといつものスパートほど力が入らず、安定を選んだのです。ラスト200m付近だったでしょうか。ここでも振り返れば奴がいました。恐らく彼は首位争いで力尽きており、力ない本来の漕ぎとは程遠い状況でしたが、それを追い抜くことも諦めた自分がいたのです。

この理由は首位争いを逃げ出した自分がここで勝ちを拾うことこそ最も後悔につながると感じたからです。多分実力的にもこの順位が今は妥当なのだろう、そう受け止めてもいました。レース中にこんなことを考えるか、と思われるかもしれませんが、この時は無我夢中などなく、迷いの果てに実に冷静にいたのだと思います。結果には満足しています。でも最初から最後まで攻めきれずに終えたこと、自分の可能性を信じなかったこと、それだけは今でも悔やみます。

それでもレースを終えて、迎え入れてくれた仲間や先輩たちの笑顔を見ると晴れやかな気持ちになりました。同時に長い日々、そしてこの暑い夏もこれで終わる、明日からどうしよう、そんな思いでウイニングローをしていたら一人取り残されていたようでした。(当時は3位までの選手がウイニングローとして皆の前でお披露目する儀式がありました)

あれから20年。今になってなぜこんなことを書くのか。当時を知らない人には負け惜しみと思われるかもしれません。でもインカレはそういう舞台です。夢と感動だけでなく、辛い現実も待ち受けています。それでも多くの人の胸に刻まれる大会です。それはレース当事者の思い、そして周りで支える人、チームメイト、それぞれに思いがあります。今年は2年ぶりにボート部として同大会に出場する予定です。それだけで今から胸がワクワクします。

インカレに向けた辛い日々はこれからですが、皆にとって良い夏となるよう共に過ごしていこうと思います。

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