2024年の夏が終わりました。
季節としての夏はもう少し残暑として残るでしょうけど、青山学院大学ボート部の2024年の夏は幕を閉じました。
インカレの大会期間中にもブログを更新しようと思いつつ、戦っている選手、そしてサポートするメンバーの気持ちのすべてを知らずに主観で書くことを躊躇い、今日に至りました。
結果としては今年も、準々決勝の壁にぶち当たり、残念ながら土曜日以降のFinalレースへの進出は果たせませんでした。
今は昔と違い、A,B決勝以外にもC決勝が残されています。せめて昨年以上の飛躍をと願いましたが、その思いは届かず夢と消えてしまったのです。
ここ最近のブログでも伝えてきた通り、この夏は決して順調に過ごせてきたわけではありません。
それでも前回の投稿の通り、4年生ながらインカレ出場を断念した吉澤のファイトからチームは一つにまとまり、良い状態でその日を迎えることができました。
インカレ決戦前夜、抽選によって決まった組み合わせを見て、もしかしたらという淡い期待を抱いたのも事実です。
これは相手クルーを軽く見たわけではなく、予選の1組で1レーンという縁起の良さ、そして絶対的なクルーがいない中での組み合わせによって緒戦としていい勝負ができると思ったからです。
それは翌日以降の戦いに向けてもいいかたちで繋いでいきたい、そんな思いがあったわけですが、結果としてその予選では苦しい展開を強いられました。
元々スタートからの前半に定評があるクルーではないものの、あまりの出遅れに唖然としながらレースを見守ることになりました。
その胸中はこれが実力なのか、インカレの壁はやはり厚いのか、本調子ではないのか、色々なことが頭をよぎったのも事実です。
それでも中盤から後半にかけてエンジンがかかったのか、段々と着順を上げ、なんとか2着でフィニッシュしたわけですが、結果より中身の悪さに不安だけが残りました。
案の定、迎えた翌日の敗者復活戦もタイムこそ前日とそう大差ない組み合わせながら、またも出遅れてのスタートで厳しい展開を強いられました。
もちろんこれには3艇が勝ち上がれるというレース方式に余裕があったのも事実ですが、この出遅れ癖は思った以上に深刻で、レースに参加させてもらえずにこのインカレを終えてしまうのではないかという不安だけが更に増していったのです。
その日の全体MTGでも翌日に向けてあえてハッパをかけるような発言をしました。皆から見れば厳しい言い方に聞こえたかもしれませんが、やはり目指すのは土曜日以降のFinalレースでしたから、このまま終わってほしくないという一心でした。
そんな時でもどうにかしてやりたいと強く思いながら、監督という立場の無力さを感じます。
何か言葉をかけることより、唯一できることは彼らを信じることだけなのです。
この日の夕方、二人は最後の練習としてスタートの確認をしていました。
決して練習するよう強要したわけではないものの、悔いが残るレースをしたくないのは彼らも同じだったのでしょう。
仕事終わりにもしかしたらコースにいるのでは?と立ち寄って見たところ、そこで彼らの姿を目撃したのです。
だからと言って直接声をかけるわけでもなく陰から見守りました。
そのスタート練習を見ている限りでは、なぜこれで置いていかれるのかすら不思議に思うくらいでしたので、練習通りにできれば翌日は大丈夫だろうと。
そんな私の姿に二人も気づいたようでしたが、言葉はかけず、ただただ頷きながら、大丈夫だ!と視線だけを送ったのでした。
練習でできないことを試合では決してできません。そんな思いがあるからこそ、自分たちの力を出し切ればいい勝負ができると、それは確信に変わりました。
迎えた翌日の準々決勝。
負ければ終わり、4年生の鈴木にとっては最後のレースになるかもしれない運命の一戦でした。
予選の日も明るく振る舞いながら、時折、緊張の面持ちを見せており、出艇時にも普段ではしない送り出しをあえてしたことが、本人に過度なプレッシャーになってもいました。
ですからこの日はあまり言葉をかけずにレース前も前日と同様に静かに見守りました。あとは信じるだけという思いで。
そして緊張のスタート。発艇してからも鈴木の動きだけに目をやったわけですが、明らかにこの日の動きは前日までと違いました。
それは艇速にも比例しており、スタート250m地点で既に出遅れていたこの二日間とは一変し、しっかりと他艇を射程圏に捉えながら目の前を通過していったのです。
3日目にしてようやくエンジンがかかったのを見て、良し!これだ!とすぐさま自転車で伴走しました。
3日間、共に見ていた結城さんからはこれで最後落ちたらという不安の声が聞こえてきましたが、私自身はそこに不安はまったくありませんでした。
並んでさえいれば、普段の力をしっかりと出し切れ、最後の後半でなんとか逆転するというシナリオが脳裏によぎりながら、声をかけ続けました。
お前らならできるぞ!いいぞ!いいぞ!と。
スタートしてから3位の関西大学との差は終始半艇身から1艇身で漕ぎ続けていました。
迎えた第4クォーターでも決して、その差が広がることなく、最後まで力強い漕ぎを見せてくれました。
その漕ぎには本当に胸が熱くなりました。これこそが彼らの実力だと。
ですが、無情にもゴールまでその差がひっくり返ることはありませんでした。
こうして青山学院大学ボート部の代表として挑んだ鈴木、淡路のダブルスカルでのインカレは幕を閉じたのです。
先にも述べた通り、調子が悪い中、一時は出漕すら見送ろうとしたわけですが、それでも出ると決めた以上、出来ることをやろうと二人はこの大会を迎えました。
調子の悪さは予選、敗者復活戦のレースを経て、自信喪失にもなっていたでしょう。
それはインカレという高い壁ではなく、己の力を見失っていたのだと思います。
敗れたとは言え、最後の最後にこうした苦難を乗り越え、ベストレースを見せてくれたのですから、たった3日間という期間で二人は大きく成長しました。
それはきっと二人の人生としても良い体験になったのだと思います。
『思いは力です。信じることは勇気になります。』
レースを通じて皆に大切なことを教えてくれた、そんな2024年のインカレだったと思います。
私自身もまた一つ、監督として学ばせてもらいました。
こうした一つひとつの敗戦は必ず糧になります。
そしてこの思いは継承され、きっとまた来年以降に部として更なる成長を見せてくれることでしょう。
以上が、2024年の夏、インカレを見届けた私の観戦記です。
それから今日に至るまでのサブストーリーもいくつかあるのでまた後日、それを記したいと思います。
最後になりますが、この3日間、暑い中、現地で声援を送り続けていただいた関係者にはこの場をお借りしてお礼を申し上げます。
また現地には足を運べずとも、青山学院大学ボート部に注目し、関心を持っていただいたすべての関係者にも心より感謝を申し上げます。
まだまだ志道半ばではありますが、皆様の期待に応えられるよう、これからも精進してまいります。
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