正解が多いからこその悩み

嵐のような低気圧が昨晩、過ぎ去っていきました。

いよいよ梅雨も間近に控え、こうした台風や低気圧の接近による天候の乱れがしばらくは続きそうです。

昨晩はさすがのジメジメに今最も意識している睡眠を阻害されると思い、サーキュレーターを使用し始めました。

元々あまり冷房が好きなタイプではないので、サーキュレーターくらいが実はちょうどよくもあります。

部員たちの練習にもこれからはきっとこうした暑さが常に付きまとってきそうですが、睡眠や休息など健康管理にも気を付けていってほしいと思います。

さて、先週末、戸田ボートコースでは全日本社会人選手権大会が開催されました。

おかげでコースを使用するにも多少の制限を強いられましたが、暑さから逃れるにはそれも悪くないもの。ただエルゴばかりとなるのも部員らからしてみれば憂鬱なことなのかもしれません。

日曜日には約一か月ぶりとなる2000mを行ったものの誰一人結果は振るわず、今の不振な状況を表しているかのようなスコアでした。

ボート競技は本当に日々の積み重ねです。ある日突然、スコアが大幅に更新されるというのはむしろ奇跡的なことです。

これだけ継続して練習を行っていれば、よほど気持ちに変化がない限り、大抵は決まったところに落ち着くものです。

春練が終わってからも学業と並行して練習を続けてきたものの、スコアが更新されるような雰囲気にはありませんでした。

やはり質量ともに落ち込んでいるのか、疲労なのか、はたまた気持ちの問題か。

やっていることが正しいのかすら見失いそうになる苦しい時期なのかもしれません。

そんな時だからこそ、今こそ下地を作るべきと30分エルゴの継続や水上での距離を縮めることを私は提案しています。

きっと彼らも半信半疑なことでしょうが、日々の変化や成長よりほんの少し先の成長を目指していくことこそ必要なことだと思っています。

体づくりでも効果が出てくるのに3か月。そういう意味では食事の意識を変えるだけでもインカレの頃には大きく変わることができます。

今は半信半疑でも、体力作りという点ではこの時期を本当に大切にしてほしいと感じています。

また水上の技術やテクニックについても、もう一度基本に立ち返ってみるべきなのかもしれません。

日曜日は私自身も久々に上野を乗せてダブルスカルでテクニカルドリルを教えました。

いわゆる『チャボり』、『つかみ』から『腕漕ぎ』、『上体漕ぎ』と続いていくわけですが、これを単なる動作と捉えて一連で行うことは意味のないことです。

もちろん、こういうものと教えてきたからこそ今があるわけですが、その一つ一つの意味を再度自分自身に問うこと。これを求めています。

そしてそれは『ボートを漕ぐ』ということの意味そのものを再度見直して考えてほしいと思っています。

体力の違いはあれど、例えば短い距離で考えれば私が彼らと水上で並べたら恐らく勝つことができます。

これはなぜでしょうか。

筋力や心肺機能は劣っていても漕ぐ技術は今の彼らにも勝る自信があるからです。

これにはもちろん経験の差もあります。ですが、経験の差は決して年月をかけたからではなく、ほんの少しだけ艇を進める、艇を運ぶ技術を習得しているからです。

この週末に行われた全日本社会人選手権に私も数年前にチャレンジしました。

今年も40歳以上のカテゴリーで毎年の顔ぶれが競い合っていましたが、やはり往年のオアーズマンでもこうした過去の財産をもって漕いでいるのです。

体力は衰えてもこうした感覚は失われることがありません。それはつまり、一つのきっかけさえあれば習得できるものだとも思います。

私自身もスイープ種目しかしてなかった高校時代からスカル種目へ転向した大学時代で初めて自身で艇を進める感覚を身に付けました。

だからこそスカル種目をしている今なら、それも実現可能なことだと感じています。

但し、そのためには今の漕ぎ方、考え方を一度見直さなければ新しい発見や気付きは得られないかもしれません。

テクニカルドリルの意味を考えることもその一環だと思っています。

またボート競技を教える中で『漕ぐ』、『引く』、『蹴る』。こうした言葉を当たり前のように伝えてきたのも間違いだったのかもしれません。

適切な表現は艇を『より速く進める』、『より遠くに運ぶ』。ちょっとしたその表現の違いで考え方そのものを変えてもいこうと思います。

迷ったとき、悩んだときこそ、初心にかえる。そう、原点回帰が必要なのです。だからこそもう一度考え抜いていかなければいけないのかもしれません。

思えばこの1年。考えるなと言ったり、考えろと言ったり、支離滅裂なことを述べています。

ただ皆の感性を研ぎ澄まして、そこを一番大事にしてほしいと思っています。

漕ぎ方にしても不正解はありません。ただ正解が多いだけで、迷っているのです。彼らも私自身も。

高校までの学業であれば試験があるので間違えば不正解。これが特に日本の社会を象徴しているかのような現実です。

でも実は不正解というのはルールを犯したことくらいで実はあまりなく、数多くの正解の中に近道もあれば遠回りもあるのだと思っています。

ボート競技も同じです。

もちろん、より最短経路でいけることが望ましいのですが、私の未熟さゆえに彼らを道に迷わせているのかもしれません。

何より、、、今のボートや練習をつまらないものにしてしまっている自分の指導方法は見直すべきだと恥じています。

でも勝たせてやりたい。だからこそ共に考え、戦っていきたい。そう感じています。

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