秋晴れのもと、第63回全日本新人選手権大会の日を迎えました。これだけの晴天で、この時期特有の向かい風もない穏やかな気候というのは本当に珍しいことです。本来、東日本新人選手権が開催されるのが例年はこの時期ですが、過去の戦いでは大事な準決勝、決勝では幾度となく向かい風で涙を飲んできました。
それでも今年は約3年ぶりにこの大会が開催され、こうして無事にレース日を迎えられ、そこに選手を送り込めることには少し感慨深い思いもありました。結果だけではなく、挑戦したからには何か得るものを一つでも多くという気持ちで、荒川に架かる戸田橋を渡りながらコースへと向かいました。
シングルスカルを始めて実質一ヶ月にも満たない淡路については一人でレースに挑むこと自体が未知の体験でしたが、普段の練習同様に鏑木が付き添い、懇切丁寧にウォーミングアップのエルゴや蹴り出しまで付きっきりでサポートしてくれていました。もちろん当の本人は多少緊張の面持ちを見せながらも、ここに挑むと決めた時からやるしかない、その一心だったのだと思います。
レースに出る前に余計な雑談になったかもしれませんが、漕ぎについての中長期的な課題を伝えたのも今後の期待の表れであり、今がまさに伸び盛りであるからこそ私たちの要求も自然と多くなっていることを感じました。もちろんここはあくまで通過点であり、結果より内容を重視していたからなのかもしれません。
そして恐る恐るレースへ向けて出艇し、コースでのアップを見る限り、よくぞこの一ヶ月でここまで漕げるようになったものだと、久々に生の姿を見て、少し驚いたのも事実です。もちろんレートはコンスタントすら出せない精々26がいいとこだったのだと思います。それでも着実に成長している姿を見て、どこまでの成果を出してくれるか楽しみを持ってスタート地点に向かいました。
レース前のスタート地点への艇付けは遠くから見ているこちらをヒヤヒヤさせましたが、なんとかスタート2分前までにスタンバイすることができました。そして緊張の発艇合図と同時にレースがスタートしましたが、やはり並みいる強豪のスタートダッシュについてはいけず一気に水を開けられます。
250m地点通過時でも淡路はこちらが思っている以上のスタートダッシュを見せてくれたものの、やはりレベルの高いレースではまったく通用しないことを思い知らされます。そして先頭集団が500mを通過した頃から淡路の様子が一瞬でおかしくなります。そうです。完全に波に飲まれたのです。
全日本級、そして2000mというレースでは審判艇は容赦ありません。先頭集団に付いていき、差がつけば付くほど、後方艇にはお構いなしに進んでいくことで、後方に取り残された艇はその波をもろに食らうのです。もちろんそれはこちらの想定内であったものの、本人にとっては期待と楽しみで意気込んでいたレースでまさかのこの波の仕打ちに戦意を喪失していたのが、陸から見ているこちらにもはっきりと分かりました。
そこからはゴールまで漕ぎ終わるのを互いに待つだけの長く果てしない時間だと感じました。はるか前方をいく他艇がゴールをしたときもその音すら聞こえぬ位置にいたのですから、観客はこれが同じレースかと目を疑ったかもしれません。それくらいにレースであることを忘れ、意気消沈した姿と本来の漕ぎすらさせてもらえない悲壮感だったのでしょう。
ゴールした後の開口一番でも「波が・・・」とつぶやき、その後はこちらの声も耳に届かないくらい絶望感と羞恥心で頭が真っ白だったのでしょう。『何もさせてもらえなかった。』よくさまざまな競技で圧倒的な差で敗れた者、また大番狂わせのように相手の策にはまり沈んでいった者が口にする言葉ですが、今回のはまさにそれだと彼にも伝えましたが、何の慰めにもならないほどに落ち込み、この時点で翌日のレースのことはきっと頭になかったでしょう。
時間を置き、登場したダブルの面々ですが、こちらも気負うこともなく、やることはやってきたという自信のようなものが見え隠れし、決して不安な表情は見て取れませんでした。これはきっとこの一ヶ月での成長と変化があったからなのでしょう。私自身も彼らに課したメニューを考えれば2000mに臆することもなく、どれほどのタイムを出してくれるか期待の方が大きかったのが正直なところです。
こちらも意気揚々とレースへ送り出し、コースアップも問題ないだろうと少し距離を置いて見守っていたのですが、ここで一つの誤算が起きました。コースアップ区間である500m地点の競艇陸橋を悠々と漕いで過ぎていく二人の姿を見て、慌てて自転車で追いかけるも時すでに遅く、コースアップ区間を勘違いしてしまっていたのです。
これは事前に確認をしなかった私の責任のわけですが、本人たちへもう反転して後戻りできないという事実を伝えたときはさすがに驚いていました。ほぼコースでのアップもなく、レースを迎えなければいけないこと、またこの地点で30分ほど待たされるという状況に、初めての2000mレースでの経験の無さということもありますが、これには大きな反省が残りました。
そして2つ前のレースではアクシデントが発生し、予定の発艇時刻からさらに待たされると同時にスタート地点の風が特に強く、クイックスタートへ切り替えられていたので不運は重なってしまいました。この嫌な流れに不安を感じつつも、練習通りにやればという思いだけでこちらも見守り続けました。
そして発艇の合図と同時に見た二人のスタートは思っていた以上のスロースタートです。それに比べ、他艇は見事なスタートダッシュを決めてくるのですから、この時点で「しまった」と先ほどの淡路のレースが頭をよぎり、二の舞となることを覚悟したのです。
もちろんそれでも彼らは練習の成果は随所に見られ、早い段階から自分達のリズムにと言わんばかりのコンスタントを見せ、決してそう悪いものでもありませんでした。ですがここでも他艇との差が開き始めた500m地点過ぎからは様子が一変し、本来の漕ぎを失い、何度かブイに阻まれ、方向修正を余儀なくされたのです。ゴール後も疲れたというより、悲壮感とショックだけが漂う二人の姿に全日本の大会という洗礼を受けたのです。
船台に戻ってきた二人も開口一番、波で何もできなかったと口々にしました。やはりそうか、これが本来の力ではないだけに無念さと悔しさで、この日はもう部全体がお通夜のような状態に陥ったのは言うまでもありませんでした。波に飲まれる(呑まれる)とは本来違うことの意味で使われます。それでもこの日、出漕した3人とも審判艇
の残した波に飲まれ、今までの練習と少しの期待をすべてさらわれていってしまったのですから、これはもう仕方がないことなのです。
この日、3人へ伝えたことはただ一つ、今の実力、現実がこれなのだろう。明日も同じ現実が待っているだろうが、この中でできることは何か、それはただ一つであること。来月のレースへ繋げる何かを得ることです。そのためには波を食らうまでの前半が全て勝負なのです。今日のスタートを忘れ、500m地点までは他艇へ必死に何が何でも付いていき、行けるところまで攻めてタイムを取る。その後、再び波に飲まれようと攻める姿勢が必ず次に生きるのだから、と。
そんな鏑木と私の説得をまともに聞ける状態ではなかったかもしれません。それでももうやることはシンプルなのだから立ち直ってくれるとそう信じて、明日を待つことにしたのです。(後半に続く)
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