春の集中練習開始から早一週間が経過しました。昨日は関東都心でも朝のうちから雪が降り始め、ついには大雪警報まで出る始末。
幸いこの期間中のオフ日が金曜でしたので、学生らにとっては最も厳しいと感じた第一クールを終えたばかりですので、束の間の休息をきっと家でおとなしく過ごすことになったことでしょう。
それでも午前中の降り方を見ると土曜日の練習にも影響が出そうだなと危惧しましたが、夕方からは雨に変わったため、ほぼ雪の影響を受けることなく、本日の練習は予定通り行うことができました。
昨日の雪、気温が嘘のように今日も気温は上がり、終始吹く風が時折寒さを感じさせますが、それでも春が近くなっていることを感じるには十分でした。春、そしてこんな気候の中、ボートコースにいると20数年前のことを思い出します。
そうです。私がこの地に初めて訪れた当時のことです。思い起こせば私が上京してきたのもこの春の合宿期間中でした。当時の部員は結城さん(新任コーチ)を最上級生に各学年一人ずつの先輩と私の計4人と非常に少ない中での活動でした。
高校時代の大所帯と比べると確かに寂しいものだと感じはしましたが、不思議とそれを嫌だと思うことは一切ありませんでした。
それはきっと結城さんという存在が大きかったのだと思います。前年の3年次にはインカレにシングルスカルで挑み、予選一抜けで、準決勝進出を果たすなど、この環境下でも目標となる人が身近にいたからなのでしょう。
高校時代スイープ経験しかない私は、この時期に始めてスカルオールを覚えました。この時期はほぼ毎練習、クォドで練習をしていましたが、レストも取らず反転して黙々と漕ぐ姿勢は「THE先輩」としてちょっと憧れていました。
それも当然のことで、私の高校は当時からもそれなりの強豪校でしたし、部員も多かったのですが、実際に先輩と一緒に乗る機会はほとんどありませんでした。特に一つ上の世代が当時最強世代と呼ばれていたので、尚更そんな経験など出来る余地はなかったんですよね。
だからこそ自分より上手い人、優れた人と乗るということが楽しくもありましたし、実際にはこれ以降、当部で誰かの背中を追いかけることも現実としてなかったので、本当に良い思い出だと思っています。
そんな結城さんですが、練習中のカッコよさとは真反対なところも魅力的な人でした。陸に上がるとユーモアにも溢れる人で、とても大きな声で笑うのも特徴的な人でした。時折気分がすぐれない時は一切喋らないので、すぐに察することもできましたが、オンとオフのはっきりした人なのだと思います。
更に言えば時にはオフ過ぎて、練習に寝坊することも多くあったなと今では笑い話にもなりますが、当時はそれをよく笑いのネタにもしました。
この春季合宿からお花見レガッタを終え、次なる戸田レガッタを目指すという時に結城さんとダブルスカルで挑戦するという機会をもらいました。
当時の戸田レガッタはそれはそれはもうレベルの高い大会で、ちょうど同月に行われる全日本選手権のステップレースとして強豪校はこぞって出漕してくるような大会でした。
よってここでの結果によって今の実力を知ることができるのは同時に楽しみでもありました。ただ一つネックだったのは当時は厚木キャンパスが存在していましたから1年次の私は厚木の一限に間に合うためには早朝4時からの練習が必要だったことです。
4時からの練習となると3時半というパン屋並みの時間に起床して練習に向かうわけですが、それも苦と感じないくらいに結城さんとのダブルは楽しみで仕方ありませんでした。でも結城さんはそんな僕の期待を見事に裏切って寝坊をしてくれるわけです。
時には起きて来ないので自宅まで起こしに行くこともありましたが、その後、現れた結城さんは当然不機嫌状態。それでも乗艇中は黙々と練習に励み、終わった頃にはまたいつもの大きな笑いで寝坊について語るのです。「申し訳ないとは思っているがどうすることもできないんだ」と。
前言を少し撤回します。乗艇中には黙々と、とは言いましたが、そうでないことも実はありました。メニューによってはセット間でレストを取りますが、その際は二人して水上だバカな話をして大笑いしていました。
恐らくあの時代、水上であそこまで馬鹿笑いしている不届き者はいなかったでしょう。まわりのクルーが無言の圧をかけてくるくらいでしたけど、そんなことはお構いなしで、我々は練習を心から楽しんでいたように思います。
その時挑んだ戸田レガッタが私の大学デビュー戦となりましたが、見事決勝進出を果たすことができました。その時に並べた相手は超のつく一線級ばかりでしたので、勢いだけで勝てるわけもありません。結果は決勝でボロ負けするわけですが、この舞台に立てたことは本当に大きな収穫であり、ここに至る過程が私自身にとっての大きな成長の機会でした。
過去にタラレバを使うのはタブーと自ら豪語する身ですが、もしこのままインカレまで続けていたら最終日は間違いなかったのではないかという自負もあります。でもそれは実現することはありませんでした。
この頃を思い出し、結城さんは以前にもよく『お前とダブルに乗っていた頃が一番楽しかったな』と口にしていました。本音かどうかはさておき、私自身も大学ボートの第一歩は結城さんがすべてだと思っています。
またプライベートにおいてもある晩、朝日レガッタを見よう!と急に思い付いて、車でそのまま出発するなど、無謀なこともしました。もちろん宿もないので、二人で車中泊をしたり。その時はあまりのいびきに殺意覚えましたが、それをしつこく言うとよく怒られもしました。
練習以外でも共に過ごす時間は楽しくあり、結城さんの引退、卒業にはやはり私自身も思うことが多々ありました。それは寂しさ、不完全燃焼、後悔、さまざまでした。
だからこそこうしてまたコーチをお願いし、共にボート部を盛り上げることができ、一つの夢を実現することができました。祐樹×結城=勇気。まさに100%のゆうきをもってこれから頑張っていこうと思います。
ちょうど今週は結城さんが上京されていたので、私も仕事の合間を見て久々にお会いして話すこともできました。当時から変わらないところが妙に懐かしく、嬉しくもありました。
翌日にはボートコースへ足も運んでくれたようで、学生らにも会って、話しをしてくれたようなので、いよいよ結城コーチが始動されたということでしょう。
そして、コーチ就任は各所で色々と反響もあるようです。私も今日の練習の際に久々に会った社会人選手から結城さんがコーチになったんですよね?と早速耳にしたので、やはりこの発信力、影響力はさすがだなと改めて感心もしたものです。
コーチ就任という本人のSNS発信でも反響の第一声はおめでとうというより、どうやって通うんですか?というツッコミが多かったようですが、結城さんなら離れていても、きっと部に、そして部員らに良い影響を与えてくれることでしょう。
年々進化を続ける当部はこうして強力なサポートを得ながらまた一つ成長していくことでしょう。部員らの成長はもちろんのこと、我々は今後も大いなる野望をもって突き進んでいこうと思います。
コメント