大学で培ったボート観

昨日は全国各地で30度超えを記録していたようで、関東地方でも猛暑日と言われていました。また、この炎天下の中、土日には戸田のボートコースではJARA主催となる全日本マスターズレガッタが開催されてもいました。今年は、お花見レガッタを皮切りに多くの大会がコロナ前と同様に開催されていますが、それによる閉鎖での影響というのは相変わらずです。気候の問題もそうですが、以前は水草問題もありましたし、コースが使用できないときの代替練習の選択肢は今後、もう少し増やしていかないとと改めて思います。

特に戸田の地では東京、埼玉の多くの高校がここを本拠地に構えていますが、水上での練習時間はいくつもの制限があり、地方と比べてその影響も少なくないのではないかと感じます。冬場に水上練習機会が少ない東北地方なんかもそうですが、それでいて全国大会で結果を出す学校も多くあるわけですから、きっとその中にもヒントが隠されているのでしょう。

特に高校生は3年間という短い期間で著しい成長を遂げます。もちろん成長期という身体の発達も起因していると思いますが、水上だけでない陸での活動にもその秘訣があるのでしょう。高校生は3年生の夏を引退時期と考えると本格的に練習に取り組んでいるのは実質約2年ほど。大学生に置き換えても2年と言えばちょうど秋の新人戦が一つの目安です。ですから大学へ入学し、入部後2年間でどれだけ成長できるかがやはりカギとなりそうです。

だからこそ、こうした期間を念頭に置きながら育成計画には厳しさと成果を求めることも必要です。そして、その中でボートの楽しさ、やりがい、続けるための動機づけができるか、ここも意識していこうと思います。

ただ、改めて考えてみると高校ボートと大学ボートの大きな違いとはなんでしょう。同じ部活動で、競技にも大きな違いはりません。もちろん高校は規格艇で配艇があること、全国津々浦々の環境を使用するため距離も1000mが主流であるなど、物理的や環境面での違いもありますが、それよりも異なるポイントは育成指導の考え方ではないでしょうか。

今の時代はどうか定かではありませんが、私の知る限り、多くの高校強豪校は勝ち方を知る指導者による熱血指導と部内での競争意識を高めた伝統や文化が存在しています。いわゆる「やらされる練習」です。監督がメニューやスケジュールを決め、それが正しいかどうか判断することなく、ただただ真面目に取り組む手法です。一方、大学ではその指導はむしろ定着せず、モチベーションや動機づけに重きを置き、個々やチームを学生自らが育成していく風土があると感じています。いわゆる自主性を重んじたかたちですね。もちろん大学の中にも高校からの経験者を推薦等で優遇し、同様の手法を用いているところもあるかもしれませんが、それはごくわずかだと思います。

その一つの理由として指導者の本職の延長にある高校とボランティアで指導にあたる大学ではそもそも指導方針そのものに大きな違いもあります。となると大学ボートで選手をいかに伸ばしていくか、その方法はなんでしょうか。近年のオリンピック選手は大学から競技を始めた者もいます。もちろんそれ以外にも全日本選手権、全日本大学選手権でも大学から競技を始め、日本一まで昇り詰める者も数多くいます。ですが、それは有能な指導者の存在というより、部として選手たちをどう動機づけて本気にさせるか、これに尽きると思います。

仕事においての動機づけでよく用いられるマクレガーの「X理論/Y理論」。もしかしたらこの考えも一つ近いものがあるかもしれません。これはご存じの方も多いでしょうが、組織で働く人々の動機づけにかかわる、2つの対立的な理論です。

簡単に述べるとX理論とは「人間は本来仕事が嫌いであり、仕事をさせるには命令・強制が必要である」という考え方で、性悪説的な捉え方だと言えます。 一方、Y理論は「仕事をするのは人間の本性であり、自分が設定した目標に対し積極的に行動する」という考え方で、性善説的な捉え方だと言われます。

これらの理論を多く語るつもりはないですが、特にY理論での動機づけこそ大学ボートで行われるべきものではないかと私自身は感じています。そもそも自らが大学というステージで競技をはじめる、もしくは続けるという時点で、高次の欲求を求めていることが前提にあることが大半ですから、自己実現を求める者にそれだけのものを価値として提供できるか、そういった風土を築き上げていくことが必要だと感じます。

どちらかというと私はX理論で育ってきた人間です。そういう環境では、やはり厳しいことを課され、それを乗り越える鍛錬の日々で確かに力をつけていくわけですが、動機や目的はどちらかというと大会結果だけに固執してしまいがちです。(ちなみにここでいう目的は、結果そのものを指しています)

ただ、大学ボートを同じように過ごした中では、なぜ、なんのためにという疑問にぶち当たりました。むしろこの疑問にぶち当たったからこそ、大学でのボート観にたどり着くわけですが、これは以前にも述べたように「ここに来た証しを示すために」という動機で自分を高めていくことができました。誰に何を言われたからという動機でもなく、結果だけに固執するわけでもなく、自らが自らの目標を実現するために何をするのか、こう考えたからこそ意識を変えることができました。それは結果はもちろんのこと、ボート部をこの先継続、発展させていくという目的も兼ね備えていました。

ですから今の育成指導にあたってもそうです。はじめは右も左も分からない初心者に自らが何を求めているか、この部では何を得られるか、その先にどういう結果があるのか、こういったことをしっかりと相互理解していくことこそ本当に必要なことなのだと思います。

今は目先の目標として全日本大学選手権への出漕やそれに向けたエルゴ基準のクリアを課していますが、それを到達することを皆が理解し、そのために何をすべきか、その先に何を求めていくのか、こうしたことを具体的にイメージしてもらいながら互いに共有し、育んでいく必要があるのだと思います。

最近は忙しさを理由にあまり部には顔を出していません。でも私が参加する目的は練習の監視ではありません。監督が来なければ出来ない練習であればきっと続けることにすら疑問を感じ、いつか壁にぶち当たるからです。もちろん今の部員たちがそう思っているとは感じていませんが、これからの多様性の時代にそれぞれのボート観というものも必ず出てくることでしょう。それは必ずしもチームとしての体をなさないかたちも存在するかもしれません。それでもこの競技を通じて自らの成長や価値を求めて、明確な動機があれば自ずと自らが望む結果や本来の自己実現にも結び付いていくことでしょう。

高校ボートを経験するとあまり大学で続けることを望みません。実際に私もそうでしたし。特にこの先にやることが明確になく、大学でも続ける推薦組もいますが、4年間という時間は本当に貴重な時間です。特に競技に対して思い入れもなく、ただただ高校の延長上で過ごして、思い出を作るくらいなら、ここに居たことの意味や、精一杯やり遂げたと後に振り返れるようなそんな部(環境)にしていきたいですね。

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